★原水禁2017年世界大会 in 長崎★
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2017年11月09日

11/4〜5 第28回反核医師のつどいin東京

 11月4、5日に第28回「反核医師のつどい」が全労連会館で開催され、医療従事者や医学生、一般の方を含めて192人が参加しました。
 今年は反核医師の会創設30周年にあたる年で、1日目の冒頭には、会の30年のあゆみについて、スライドとともに解説を受けました。
 続いてのシンポジウムでは、日本原水協事務局次長の藤森俊希さん、「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)の国際運営委員でピースボート共同代表の川崎哲さん、ヒバクシャ国際署名キャンペーンリーダーの林田光弘さんの3人にお話いただきました。核兵器禁止条約締結、ICANのノーベル平和賞受賞という歴史的な出来事を受けて、非常に活気のある会でした。
 川崎哲さんからは、核兵器禁止条約成立の経緯と意義、そして今後の課題についてお話がありました。交渉会議において市民社会の働き、被爆者の証言が果たした役割が非常に強かったこと、条約が「核保有国が核兵器を廃絶し、それを検証するプロセス」を条文化した初の条約であることなどを強調されていました。また、今後の課題として、署名・批准の推進、条約の広報活動、核の傘の下の国々の核政策の見直しなどの他に、企業・金融機関等への働きかけを挙げていたのが印象的でした。ICANもこれまで契約していた銀行が核兵器開発に資金援助をしていたことから、契約先を変更する見込みだそうです。
 藤森俊希さんからは、ご自身の被爆体験と原爆による被害の実状、その後のGHQによる被害の隠ぺいと、日本政府の棄民政策、1956年に被団協が結成されてからの経緯などについてお話いただきました。GHQの指示に基づいて、240カ所に設置されていた救護所が撤去されたという話はあまりに悲惨で、原爆投下の後にも非人道的な行いが続いていたことを改めて痛感しました。「自らを救うとともに、人類の危機を救う」という、結成時の決意は、今でも被団協の行動原理として強く生きているとのことでした。
 林田光弘さんからは、「核兵器廃絶の運動を一般化していくために」というテーマでお話いただきました。身内に戦争経験者がいなくなっている現代の子どもたちの間では、平和に関する基礎的な認識が共有されていない問題があります。平和教育についても「なぜそれが必要なのか」が了解されていなければ、かえって逆効果になってしまうと訴えました。核兵器廃絶を夢にしないためには、明確なビジョンを持ち、そのプロセスを具体的な活動につなげることが大事です。署名は路上で多くの人々と対話をすることができるツールであり、普遍的な価値のある運動だとお話していました。
 シンポジウムの後は、IPPNWヨーク大会について参加者からの報告を受け、その後懇親会が行われました。

 2日目は2会場に分かれての分科会が行われました。
 第1分科会では、第1分科会「ヒバクシャは語る、ヒバクシャから学ぶ」として、被爆者の児玉 三智子さん、久保山 栄典さん、被爆者相談員の村田 未知子さんのお話を伺いました。あらためて原爆は非道であり、生き残ったとしても人生を狂わせてしまうものであるということを感じました。戦後72年を経て、被爆者のお話を直接聞くことができる時間は残りわずかとなっています。原爆の記憶を風化させず、次世代に引き継いでいくための活動が必要だと思いました。
 第2分科会では「避難指示解除後の福島は今」と題して、生協いいの診療所の松本純医師、希望の牧場・ふくしま代表理事の吉澤正巳氏の2人の講演が行われました。
 福島在住のお二人から見える、それぞれの福島の現実、帰還、避難、再建に対する見方の違いと共通点が印象に残りました。原発事故による地域の破壊、また原発が福島の地にもたらした歪みについて(事故の以前から続いていたものも含めて)、あらためて考えさせられる講演でした。

 2日間を通じて、非常に実りの多い会でした。次回のつどいは長崎で開催予定です。
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posted by 東京反核医師の会 事務局 at 18:08| Comment(0) | 活動報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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